ピポブル 〜思考のアップデート〜

思考をアップデートして人生をより良いものにしていことを目指すブログ

できなくても良いと思う心が信じること・愛すること

〜ピポブル第133回〜

どーも、こうたです(^ ^)

今回はできなくても良いと思う心が信じること・愛することについて書いていこうと思います。 

家族

1 『できると信じているから』という言葉への疑問

多くの人が『できると信じているから』という言葉を使っていますよね。

私も結構使っていました。

ですが、この言葉ってなんか変だなと思いませんか?

なんか疑問を感じてしまったんです。

こだわりすぎなのかもしれませんが、次のように考えることができると思うんです。


『できなかったら信じてもらえないの?、できない自分はダメなやつなの?』

このように思ってしまうこともあるとは思いませんか?

きっと思ったことがある人もいると思います。

『できると信じているから』という言葉は、相手にプレッシャーをかけているんですよね。

『私(俺)は本当にできるのだろうか...』というような不安な気持ちになります。

例えば、『合格するって信じている』とか、『出世できるって信じている』などの声かけが相手にプレッシャーをかけているということです。

やっぱり期待されると自分なりに期待に応えなきゃと思ってしまいますよね。

この期待に応えなきゃというのが足に重りをつけて歩くぐらいしんどいんです。

要するに『できると信じている』という言葉は状況とその人のメンタルの状態によって、良いとも言えるし悪いとも言える言葉になるということですね。

 

2 できなくても変わらずに信じることが愛

私個人の考えですが、『できなくても変わらずに信じることが愛』のような気がします。

これに気づけたのは、発達障害の弟と暮らしているからです。

『できると信じている』と親は子供によくいうと思います。

そして、子供がいつまでたってもうまくできないでいると、内心いらだちを感じ始めるときがあると思います。

そのいらだちを子供の方は敏感にキャッチします。

ここから負の連鎖が生まれます。

この時から 信頼関係が崩れ始めるとも言えます。

 

反対にできていても・できていなくても、同じように笑顔で接している親は、子供が安心してのびのびと才能を発揮している姿をよく見てきたのです。

そうした場面を繰り返して見ているうちに、 『できなくても良いと思う心が信じることで、愛なのかもしれないな』と強く思うようになったのです。

できない人に対して、できる人は教えようと頑張っていますよね。

確かに素晴らしいことだと思います。

しかし、真実はできない人からできる人が愛や信じる心を学ぶべきなのではないでしょうか?

学校の教育でも、今だに教える立場にいる人は教えているつもりになっています。

ですが、本当は反対だと考えるべきということですね。

要するに教え子から先生が学ぶべきだということです。

愛とはなんなのか、信じるとはなんなのかについて立ち止まって考えるチャンスが教える立場にはあります。

もし、教え子を信じていないと気づいたら、とてもチャンスだと思います。

そのチャンスを活かして信じるとはなんなのかについて考えてみるのも良いのではないでしょうか?

 

3 まとめ

『信じている、信じている』と連呼する人ほど果たしてどうなのかと疑問に思います。

3月は特にこのように受験の発表や出世の結果が出る月ですよね。

自分が本当に相手を信じているのかが試される月です 。

 

できない子に『いいよそれで』と言うと、『本当にできなくなるのでは』と思うかもしれませんが、そうでもないと考えられます。

『できなくてもいいんだよ』と言うと頑張れるようになれるのが本当なのではないでしょうか?

『できなくても良い』と思う心が信じること

このことを頭の片隅に置いていただけると、あなたの身の回りで起きる出来事に少なからず良い影響をもたらすと思います。

 

読んでいただきありがとうございました^ - ^

↓ランキングに参加していますので、クリックしていただけるとうれしいです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分磨きへ
にほんブログ村

 

花